左ギリアン(弟) 右ジャック(兄) |
私はディズニーランドが好きで、年間パスポートを買って上の子とよく行ってました。 |
上の子を産んだ病院にした。NICUがあり、双子が小さく生まれても安心できると思ったから。 |
双子に限らず、上に子供がいての妊娠は大変だ。 |
その日は突然やってきた。 予定日は12月14日。その1ヶ月以上も前の11月11日午前1時30分頃、そろそろ寝ようかとビデオを消し、トイレに行こうとした所で『ジャー』とおもらし状態。 『やべー破水だ!』と思い病院へ連絡。すぐ行くことになったが、姉が夜ビールを飲んでしまい運転できないのでタクシーを呼んだ。 東京なら深夜1時でもタクシーは大丈夫だと思ったが、せっかくリストアップしていた会社でもなかなか来てくれる所は無く、数件目のタクシー会社がようやく快く受けてくれました。 破水だけなので陣痛も無く、このまま入院になるのでは...と思い、レベッカが心配になりました。 寝ていたレベッカは母に預けて出掛けたので、目がさめて私がいない事に泣き、その上、長く入院したらどうなるだろう....と。 タクシーでは座席を破水で汚さないように、シートに厚いバスタオルを敷き、股にこれまた厚いバスタオルを挟み乗り込みました。 運転者さんは『生まれるんですか?』『こんなに緊張して運転するの初めてです』などととても緊張した様子なのに楽しそうで親切で、なおかつ急いでくれました。 病院に着いたのが午前2時頃、深夜なので静かな病院内。すぐ内診の結果『臍帯下垂ぎみのため緊急帝王切開』との事。急に看護師さん達がバタバタと忙しく手術の準備が始まった。 臍帯下垂(さいたいかすい)とは、(簡単に言うと)破水前に胎児よりもへその緒が下降する状態で、破水後は臍帯脱出というが、へその緒が子宮内にとどまらず、膣内・膣外に脱出してしまう場合もある。 臍帯脱出は、へその緒の圧迫による血行障害から胎児仮死となるために、超迅速に胎児を摘出しなければならない。胎児の死亡率はなんと20%にも達するという。 幸い私の場合は、まだへその緒が出てはいないけれど胎児より下にきているから、こまののでは第1子の命は助からないだろうと言われた。 とにかく一刻も早く出してあげなければならない.....そんな状態だった。 本当にあっという間の出来事だった。本当は横にメスを入れるのだが、緊急で取り出しやすい方法として『たて切り』を説明された。 その時は一刻も早く生まなければならないから、たてに切ろうが斜めに切ろうがなんでもいいと思いました。 1ヶ月も早く生まれて大丈夫なのだろうか???と思いながらも、第1子が思ったより元気な産声で生まれた。そして第2子....無事に2人の泣き声を聞けて少しほっとした。 NICUの先生がちょっとだけ子供の姿を見せてくれて、すぐに『小さく生まれたからNICUに連れて行きますけど心配ないですよ』と言って連れて行った。 妊娠35週と2日での出産でした。11月11日。ポッキーの日。 無事に産まれて安心したのもつかの間、ここから地獄の試練の始まりだった。(私の体調面で) とにかく麻酔の副作用で気持ちが悪い。吐きそうなのに吐けない。具合が悪いのに胎盤の処理や縫ったりはったりでなかなか終わらない。 その後ナースセンターの隣の処置室の様な部屋に入院。動きたくても子宮の収縮と傷が痛くて痛くて動けない。喉がかわいてるのにまだ飲めない。 私は誤解していました。帝王切開というのは、普通分娩にくらべて楽なものだと思っていました。 両方経験して思うのは、帝王切開の方が大変だ!という事です。普通分娩は生むとき痛いけど後は楽。その日に食事もシャワーもOKだし、1人でトイレにいけるし自由に動き回れる。 でも帝王切開の後は地獄。トイレに行けないから尿も管だし、絶食だし、たくさん点滴するし、痛いし、寝返りうてないし、本当に泣いてました。夫が側にいたら殴っていたかも。(やつあたり) その日は子供に会う事はできなかったが、NICUの先生が2人のポラロイド写真を持ってきてくれました。 写真には兄くん1914g・弟くん2436gと書かれていて、か細い体にそれぞれ顔や体に管を付けられていました。 その時初めて双子の出生体重を知った。写真を見ながら一ヶ月も早く小さく生んでしまった事を何度も詫びて泣いた。何度も泣けた。 昼になり1度自宅に戻っていた姉が、母とレベッカを連れてお見舞いに来てくれました。 レベッカは双子に会いたいと言ったけどまだ会えない。まだ見ていないから、姉になった実感がまだないし、ママのお腹の中にもう赤ちゃんがいないのが不思議そうだった。 私がいない家でも、私に会っても泣かなかったレベッカが、病院から帰る時、出口付近の受付の所で、『もう一度ママに会いたい』と言って大泣きしたらしい。 目に涙をいっぱいためて又私の病室に戻ってきた娘がすごくいじらしかった。 普通帝王切開は10日〜2週間の入院という事だが、私は1週間で退院する事を心に決めた。 翌日ストレッチャーで寝たまま双子に会いにNICUに行きましょう!と言われたが、ストレッチャーは嫌だと言い、歩こうとしたが看護師さんが車椅子を用意してくれました。 初めてのご対面。思ったより元気がないのが、少し大きく生まれた弟ギリアンだった。 2人の小さい姿を見てまたまた涙・涙・涙..... 2人とも『呼吸のおさぼり』がある事。それは未熟児には珍しい事ではない事。黄疸や貧血の状態の事。退院は2300gを超えてからという事。退院は2人同時退院が良いという事。などを説明された。そして現段階では生死にかかわる状態では無いという事が分かり、すこし安心した。 NICUに初めて入った私にとって、目の前の小さくて管いっぱい付けてる状態は、『もしかしたら死んでしまうの?』と思える程ひどいものかと思ってしまいました。 でも、何度も通ううちに後で分かった事ですが、『未熟児って小さくても強いものなんだ』と子供の生命力を実感しました。 そして驚異の回復力をみせた私は、その日の午後には自分で歩き、トイレで便をし(だってトイレまで歩けないと、寝たままうんこをしなくてはならなかったから)、普通部屋になり、腹がへり大変だった。 絶食の後はおもゆ→5分粥→ごはんと何段階にも分けて通常食になる。まどろっこしい。めしだめし!めしを持って来い!って思った。ちなみにおもゆって気持ち悪〜い。 帝王切開の為か、産後おっぱい張らないし、よって母乳がまだ出ない。そして考えたのは『レベッカ吸引方』。そうです、レベッカにおっぱいを吸ってもらい、その刺激で出るのではないか?と母が言い出した事です。 レベッカは始めは恥ずかしがって『今更いい若者が赤ちゃんのようにおっぱい吸えるわけないじゃん』という感じだったけど、皆見ないという条件で実施されました。 するとどうでしょう!恥ずかしがっていたレベッカも、禁煙していたおやじが久々にタバコを吸ったかのように、懐かしそうに嬉しそうに吸うではありませんか。 そしてなんと、その事がきっかけになり、母乳が出始めたではありませんか。 母乳が出たのは良いのだけれど、まだ直接飲ませる事ができないので、さく乳(おっぱい絞って)して持って行くのだが、なんと私ってばさく乳の下手な事下手な事。 看護師さんが絞ってくれるとちゃんと出るのに、私がやると出ないし、出てもこぼす。もったいないもったいない。初乳って大事なのに..... 結局手動さく乳器もだめで、電動式にトライしたらこれがすごくいい。電動式さく乳器は退院後もベビー用品レンタルで借りてずっと使っていました。 その後私だけ産後1週間で退院。双子はNICU(GCU)に残り、母乳を運ぶ日々が始まりました。 今思うと、NICUに双子が入院して良かった。だって生まれたての双子を産後まだ体が痛いのに自宅でお世話するのは大変だと思ったから。ちゃんとやられてる双子ママは尊敬してしまいます。 ゆっくり寝て体を大事に出来たし、レベッカも構ってあげられたし、第一に生後間もない赤ちゃんっていろいろ心配もあるけど病院にいれば安心だし、ずっと会えない淋しさはあったけど、結果的には良かったと思う。 |
産後NICUの先生が持ってきてくれたポラロイド写真 |
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ジャック(兄)1914g |
ギリアン(弟)2536g |
家の双子は出産後まもなく診断されただけでも、低出生体重児・早産児・多胎・一過性多呼吸・呼吸の適応不全・新生児TSS様発疹症・黄疸・出血性腸炎・体温異常・粘膜障害・ミルクアレルギー・未熟児貧血などなど、たくさんの肩書きがありとてもびっくりしました。 |
レベッカと双子が始めてご対面した窓越し面会 |
双子が退院した日。生の双子に興奮するレベッカ |