左ギリアン(弟) 右ジャック(兄)
 

私はディズニーランドが好きで、年間パスポートを買って上の子とよく行ってました。
その年パスが切れ、又更新しようと思っていた頃に生理の遅れがあったので妊娠検査薬でチェックしたら妊娠かも?そして産婦人科に行く乗換駅(有楽町)にディズニーランドチケットセンターがあるので、病院の帰りにそこに寄って新しい年パスを買う予定でした。
ディズニーランドの事ばかり考えて行った病院で、なんと『妊娠してますねー!あれー2人いますよ』と予想外の診断。妊娠は分かっていても、まさか双子とは....すごくびっくりしたものの、若くてかっこいい先生だったので、誤診ではないかと正直少し不安だった。
先生に自然の妊娠で双子は珍しいと言われた。夫は喜んで泣いた。娘は双子の意味がわからない様子だった。
結局ディズニーランドの年パスは買わなかった。ちょっと残念だったけど、もっと大切な物を授かったから....おりしも5月初旬。男の子の予感。

 

上の子を産んだ病院にした。NICUがあり、双子が小さく生まれても安心できると思ったから。
しか〜し2年ぶりに行った病院は改装されていてびっくりした。以前は1階の古い廊下の待合室で長く待たされ、『○○さーん』と大声で呼ばれた。(ちなみにレベッカの時、大塚寧々さーんと呼ばれた人が、いかにも芸能人って感じの黒で統一した服を着てサングラスをかけて入っていった。大塚寧々そのままじゃん。と思った)
改装後、診察室は2階に移り、今までと全然違ってすごく綺麗でびっくりした。
名前なんて呼ばれない。ポケベルを渡されて、音と共に指定の部屋番号が出るので待合室で待っていなくてもいいし、トイレに行ってる間に呼ばれたらどうしよう!という不安も無い。プライバシーの保護ってやつですね。

 

双子に限らず、上に子供がいての妊娠は大変だ。
上の子の世話もあるから寝てもいられないし、重い上の子を抱っこしなくてはならない。
私の場合、最初の妊娠はつわりが軽かったのに、双子の時はすごいつわりで益々大変だった。
妊娠初期かぜで咳が止まらないし、つわりはひどいし吐いてばかりいた。双子なのに妊娠7ヶ月まで私の体重が増えなかったのはつらかったけど、体重管理の事を考えると良かったのかもしれない。

妊娠したのが双子だと分かってから、夫婦でいろいろ話し合った。
まず住んでいるアパートでは狭いので引越ししなくてはならない事。
子供が3人になると電車は大変なので車が必要になる事。そういう事をいろいろ考えた結果、『どうせ大金を使うなら、いっそアメリカに引越した方がいいのではないか?』という答えになった。
そして、両家の両親・姉・義妹の支援と援助のおかげで、引越しや渡米の準備をする事ができました。
しか〜し今考えると、とてもアクティブな妊娠生活だったと思う。
つわりがひどくても、レベッカのスイミングと体操教室に電車で通ったり、引越しをしたり、娘の七五三をしたり、日本にいる内に行っておきたい所(シーパラダイス・ピューロランド・神社・各種レストラン・動物園・浅草などの観光地ets...)に双子妊婦なのに出歩き、よく動き回った。

そして9月に夫は仕事と住む所を探す為、1人で先にアメリカに出発しました。
しかし渡米前日にあのテロ事件発生。結局空港閉鎖の為飛行機が飛ばず、一週間後にようやく渡米できました。
さて、私とレベッカは東京の姉の家に住み、田舎から母も呼び、女4人で出産までの楽しい生活が始まりました。
検診は双子だと行く回数が多く、その度にレベッカを連れてバスと電車を乗り換えて通いました。経過は順調。でも、内診の時など、レベッカは先生側に行き、私の股を一緒にのぞき込んだりしていました。先生は怒ったりせず、器具を見せ『これで赤ちゃんをみるんだよ!』と説明して、毎回助手の様に先生の隣で診察を見ていました。

妊娠7ヶ月頃にはお腹が臨月位の大きさになり、歩いていると『大丈夫?生まれるんじゃないの?』と知らないおばちゃんに声をかけられたり、信号待ちで若いアベックが『あの人やばくない!大きいって感じ』とか私のお腹を話題にされて面白かった。
双子の性別は2人とも男の子と言われていて、その内第1子が逆子なので帝王切開の可能性が高いと言われていました。
10月29日の33週目の検診の時、『次の検診まで逆子が直らなければ帝王切開の手術日を決めましょう』と言われ、いよいよかぁ....と、少し緊張したものです。   

 
その日は突然やってきた。
予定日は12月14日。その1ヶ月以上も前の11月11日午前1時30分頃、そろそろ寝ようかとビデオを消し、トイレに行こうとした所で『ジャー』とおもらし状態。
『やべー破水だ!』と思い病院へ連絡。すぐ行くことになったが、姉が夜ビールを飲んでしまい運転できないのでタクシーを呼んだ。
東京なら深夜1時でもタクシーは大丈夫だと思ったが、せっかくリストアップしていた会社でもなかなか来てくれる所は無く、数件目のタクシー会社がようやく快く受けてくれました。

破水だけなので陣痛も無く、このまま入院になるのでは...と思い、レベッカが心配になりました。
寝ていたレベッカは母に預けて出掛けたので、目がさめて私がいない事に泣き、その上、長く入院したらどうなるだろう....と。
タクシーでは座席を破水で汚さないように、シートに厚いバスタオルを敷き、股にこれまた厚いバスタオルを挟み乗り込みました。
運転者さんは『生まれるんですか?』『こんなに緊張して運転するの初めてです』などととても緊張した様子なのに楽しそうで親切で、なおかつ急いでくれました。
病院に着いたのが午前2時頃、深夜なので静かな病院内。すぐ内診の結果『臍帯下垂ぎみのため緊急帝王切開』との事。急に看護師さん達がバタバタと忙しく手術の準備が始まった。

臍帯下垂(さいたいかすい)とは、(簡単に言うと)破水前に胎児よりもへその緒が下降する状態で、破水後は臍帯脱出というが、へその緒が子宮内にとどまらず、膣内・膣外に脱出してしまう場合もある。
臍帯脱出は、へその緒の圧迫による血行障害から胎児仮死となるために、超迅速に胎児を摘出しなければならない。胎児の死亡率はなんと20%にも達するという。
幸い私の場合は、まだへその緒が出てはいないけれど胎児より下にきているから、こまののでは第1子の命は助からないだろうと言われた。
とにかく一刻も早く出してあげなければならない.....そんな状態だった。

本当にあっという間の出来事だった。本当は横にメスを入れるのだが、緊急で取り出しやすい方法として『たて切り』を説明された。
その時は一刻も早く生まなければならないから、たてに切ろうが斜めに切ろうがなんでもいいと思いました。
1ヶ月も早く生まれて大丈夫なのだろうか???と思いながらも、第1子が思ったより元気な産声で生まれた。そして第2子....無事に2人の泣き声を聞けて少しほっとした。
NICUの先生がちょっとだけ子供の姿を見せてくれて、すぐに『小さく生まれたからNICUに連れて行きますけど心配ないですよ』と言って連れて行った。
妊娠35週と2日での出産でした。11月11日。ポッキーの日。
無事に産まれて安心したのもつかの間、ここから地獄の試練の始まりだった。(私の体調面で)

とにかく麻酔の副作用で気持ちが悪い。吐きそうなのに吐けない。具合が悪いのに胎盤の処理や縫ったりはったりでなかなか終わらない。
その後ナースセンターの隣の処置室の様な部屋に入院。動きたくても子宮の収縮と傷が痛くて痛くて動けない。喉がかわいてるのにまだ飲めない。
私は誤解していました。帝王切開というのは、普通分娩にくらべて楽なものだと思っていました。
両方経験して思うのは、帝王切開の方が大変だ!という事です。普通分娩は生むとき痛いけど後は楽。その日に食事もシャワーもOKだし、1人でトイレにいけるし自由に動き回れる。
でも帝王切開の後は地獄。トイレに行けないから尿も管だし、絶食だし、たくさん点滴するし、痛いし、寝返りうてないし、本当に泣いてました。夫が側にいたら殴っていたかも。(やつあたり)

その日は子供に会う事はできなかったが、NICUの先生が2人のポラロイド写真を持ってきてくれました。
写真には兄くん1914g・弟くん2436gと書かれていて、か細い体にそれぞれ顔や体に管を付けられていました。
その時初めて双子の出生体重を知った。写真を見ながら一ヶ月も早く小さく生んでしまった事を何度も詫びて泣いた。何度も泣けた。

昼になり1度自宅に戻っていた姉が、母とレベッカを連れてお見舞いに来てくれました。
レベッカは双子に会いたいと言ったけどまだ会えない。まだ見ていないから、姉になった実感がまだないし、ママのお腹の中にもう赤ちゃんがいないのが不思議そうだった。
私がいない家でも、私に会っても泣かなかったレベッカが、病院から帰る時、出口付近の受付の所で、『もう一度ママに会いたい』と言って大泣きしたらしい。
目に涙をいっぱいためて又私の病室に戻ってきた娘がすごくいじらしかった。
普通帝王切開は10日〜2週間の入院という事だが、私は1週間で退院する事を心に決めた。

翌日ストレッチャーで寝たまま双子に会いにNICUに行きましょう!と言われたが、ストレッチャーは嫌だと言い、歩こうとしたが看護師さんが車椅子を用意してくれました。
初めてのご対面。思ったより元気がないのが、少し大きく生まれた弟ギリアンだった。
2人の小さい姿を見てまたまた涙・涙・涙.....
2人とも『呼吸のおさぼり』がある事。それは未熟児には珍しい事ではない事。黄疸や貧血の状態の事。退院は2300gを超えてからという事。退院は2人同時退院が良いという事。などを説明された。そして現段階では生死にかかわる状態では無いという事が分かり、すこし安心した。
NICUに初めて入った私にとって、目の前の小さくて管いっぱい付けてる状態は、『もしかしたら死んでしまうの?』と思える程ひどいものかと思ってしまいました。
でも、何度も通ううちに後で分かった事ですが、『未熟児って小さくても強いものなんだ』と子供の生命力を実感しました。
そして驚異の回復力をみせた私は、その日の午後には自分で歩き、トイレで便をし(だってトイレまで歩けないと、寝たままうんこをしなくてはならなかったから)、普通部屋になり、腹がへり大変だった。
絶食の後はおもゆ→5分粥→ごはんと何段階にも分けて通常食になる。まどろっこしい。めしだめし!めしを持って来い!って思った。ちなみにおもゆって気持ち悪〜い。

帝王切開の為か、産後おっぱい張らないし、よって母乳がまだ出ない。そして考えたのは『レベッカ吸引方』。そうです、レベッカにおっぱいを吸ってもらい、その刺激で出るのではないか?と母が言い出した事です。
レベッカは始めは恥ずかしがって『今更いい若者が赤ちゃんのようにおっぱい吸えるわけないじゃん』という感じだったけど、皆見ないという条件で実施されました。
するとどうでしょう!恥ずかしがっていたレベッカも、禁煙していたおやじが久々にタバコを吸ったかのように、懐かしそうに嬉しそうに吸うではありませんか。
そしてなんと、その事がきっかけになり、母乳が出始めたではありませんか。

母乳が出たのは良いのだけれど、まだ直接飲ませる事ができないので、さく乳(おっぱい絞って)して持って行くのだが、なんと私ってばさく乳の下手な事下手な事。
看護師さんが絞ってくれるとちゃんと出るのに、私がやると出ないし、出てもこぼす。もったいないもったいない。初乳って大事なのに.....
結局手動さく乳器もだめで、電動式にトライしたらこれがすごくいい。電動式さく乳器は退院後もベビー用品レンタルで借りてずっと使っていました。

その後私だけ産後1週間で退院。双子はNICU(GCU)に残り、母乳を運ぶ日々が始まりました。
今思うと、NICUに双子が入院して良かった。だって生まれたての双子を産後まだ体が痛いのに自宅でお世話するのは大変だと思ったから。ちゃんとやられてる双子ママは尊敬してしまいます。
ゆっくり寝て体を大事に出来たし、レベッカも構ってあげられたし、第一に生後間もない赤ちゃんっていろいろ心配もあるけど病院にいれば安心だし、ずっと会えない淋しさはあったけど、結果的には良かったと思う。
産後NICUの先生が持ってきてくれたポラロイド写真 
 
ジャック(兄)1914g
ギリアン(弟)2536g
 

家の双子は出産後まもなく診断されただけでも、低出生体重児・早産児・多胎・一過性多呼吸・呼吸の適応不全・新生児TSS様発疹症・黄疸・出血性腸炎・体温異常・粘膜障害・ミルクアレルギー・未熟児貧血などなど、たくさんの肩書きがありとてもびっくりしました。
体重も思ったほど増えないし、具合の良い日と悪い日が交互にやってきて、毎日毎日一進一退といった感じで、面会に行くたびに保育器の前で泣いてばかりいました。

そんな生後3週間目の朝、自宅にNICUの先生から電話があり『お話があるので病院にきてください』と言う。昨日面会に行った時は元気そうだったのに、いったい何???動悸が激しくなり、膝が震えた。丁度日曜日だったので姉と母とレベッカと4人で病院に行った。
なんと兄ジャックが昨日から微熱があり、夜にはおしっこが止まらなくなり、急激に体重が減っているという。原因は不明。今は点滴で脱水症にならないようにしているが、原因が分からないと治療が出来ないと言う。
考えられる事は、『尿崩症』『低アルドステロン血症』『その他ホルモン系の病気』『腎臓病』などなど。
最悪の場合は、脳の中の尿をコントロール所に腫瘍があるかも?脳出血?脳挫傷?髄膜炎?脳炎?などとも言われた。
その為、脳の検査をする必要があるので、CTとMRIを完備している病院に転院しましょう。との事だった。

その後すぐに保育器のまま救急車で運ばれました。大きい病院は日曜日でも急患受付がある為少し混んでいた。
救急車から保育器で運ばれてきた裸で寝ている小さなジャックを見て、やじうまが『かわいそう』『小さい』『見て見て』と言ってるのが聞こえて悲しくなった。
そこへ1人のおじさんが私に寄って来て、『こういう小さく生まれて弱かった子供って、以外に大きくなるとやんちゃ坊主になるもんだよ』と言った。本当にそうなって欲しい。このおじさんに少しはげまされた気がした。

その日から、冷凍母乳を兄ジャックに届けて少し面会、その後弟ギリアンの病院へ....というはしご面会の日々が始まった。(母乳は具合の悪い兄ジャック優先)
兄ジャックの入院した病院は大きい病院の為、重病の赤ちゃんも多く、面会の規制も厳しい。母親でも面会時間が決められていてその面会時間も短かかった。
出産した病院も、もちろん面会時間は決められていたが、時間外であっても母親ならば、母乳をやる為や会いたくなったらいつでも会わせてもらえて良かった。

そしていよいよ検査結果発表の日、1人で行く勇気がなかったので、姉に一緒に行ってもらった。
カウンセリングルームで先生を待つ間、緊張してのどがカラカラの状態だった。もし病気が発覚し、障害があったとしても、命だけは助けて欲しいとただ願った。
先生が脳の断面図の写真(ネガ)をもって入ったきた。心臓が止まるかと思った。
結果は....どこにも異常が無い。と言う。大泣きしたかったが、いろいろ説明してくれてるし、聞かなければならない事もあったのでふんばった。
結局原因不明。自然治癒。だったそうです。考えられるのは、体の電解質のバランスが崩れたのかもしれないという事。
乳児は、大人では考えられないいろいろな事が起こるが、治療しないまに自然に治ってしまうという事もたまにあるという。
なにはともあれ安心した。夫が不在で良かったと思った。夫は本当にパニックになるタイプなので、検査結果の発表の時なんて、気絶していたかもしれない。(夫も後々同じ事を言っていました)

そして兄ジャックが、生まれた病院に戻る事が決まり、またまた救急車で搬送されました。入院の時とは違いうれしい気持ちで乗った救急車です。おまけに記念だからとレベッカと母まで一緒に乗り込みました。
おりしもこの日(兄ジャックが元の病院に戻り、弟ギリアンと再会したの)は12月14日。そう、出産予定日でした。
NICUに入院中、不安になったり悲しい気持ちになったりしたけど、それを支えてくれたのが、ナースの方々が書いてくれた写真付き成長日記でした。本日の体重やミルクの量はもちろん、ママが知らない夜の様子や細かい事までいろいろ書かれていて感動ものでした。

そして、2002年1月4日2人が無事一緒に退院する事ができました。その時の体重、兄ジャック2656g・弟ギリアン3160g、生後54日目。
レベッカ大喜びで『赤ちゃんにさわりたい』『赤ちゃんを抱っこしたい』と大変だった。

 
レベッカと双子が始めてご対面した窓越し面会
 
双子が退院した日。生の双子に興奮するレベッカ